8, ロサンゼルスの音楽史


 ニューヨークと並ぶアメリカの大都市、ロサンゼルスの歴史と音楽シーンの変遷を、簡単に振り返ります。

ロサンゼルスの歴史

 16世紀前半にメキシコを征服したスペインは、その後も領土を北に伸ばし、1781年に現在のロサンゼルスがある場所に小さな村落を建設します。

 その後、1848年にカリフォルニアがアメリカ領となり、1850年にはロサンゼルスに市制が敷かれますが、当時の人口はわずかに1600人程度。しかし、1900年を迎える頃には10万人、1960年にはおよそ248万人へと増加するなど、急速な発展を遂げます。

 まず、1848年にサクラメント近くで金が発見され、ゴールドラッシュが起き、一攫千金を夢見る人々がカリフォルニアに殺到します。「カリフォルニア・ゴールドラッシュ」と呼ばれるこの現象は、1855年頃には終息。

 1865年には、南北戦争が終結。カリフォルニアはもともと奴隷制を持たない「自由州」でしたが、南北戦争終結によって「奴隷州」に住む奴隷が解放されると、多くの移住者が押し寄せます。

 1865年は、サンフランシスコとサンディエゴを鉄道で結ぶため、サザン・パシフィック鉄道が設立された年でもあります。(ロサンゼルスは、サンフランシスコとサンディエゴの間にあります。) この鉄道建設には、ゴールドラッシュに伴いカリフォルニアに移住してきた、中国系移民が多く従事します。

 19世紀末になると、日本からの移民も増加。東海岸よりもアジアから近いため、その後はアジア系移民も増加します。また、もともとメキシコ領だったこともあり、古くからヒスパニック系の住民も多く、近年もメキシコからの移住者が多数います。

 ロサンゼルスの爆発的な人口の増加は、いくつかの産業の発展が主な理由です。前述したとおり、19世紀中ごろのゴールドラッシュにより、多数の人が殺到します。殺到した採掘者のビタミン源として、1840年代からオレンジの栽培がカリフォルニア全域で開始。柑橘類をはじめとした農業が、ロサンゼルスの主要産業となります。

 19世紀末には油田発見による石油化学工業が発展、さらに航空機産業も発達。20世紀以降は、ハリウッドに代表されるエンターテイメントも主要産業となります。それまではニューヨークとシカゴが映画産業の中心地でした。当時のフィルムは感度の問題で、高い光度が必要。そのため、東海岸の都市よりも、温暖な地中海性気候を持ち、太陽が輝くロサンゼルスは、撮影に最適だったのです。

 このように、夢を持った移住者が多く集まり、人種構成も多様、そして魅力的な温暖な気候を持っているのが、ロサンゼルスの特徴と言えるでしょう。

ロサンゼルスの音楽シーン

 では、次にロサンゼルスの音楽シーンの流れを確認してみましょう。

 前述したように20世紀以降、ロサンゼルスのハリウッドは映画産業の中心地となっていきます。そして、1942年に西海岸初のメジャー・レーベルであるキャピトル・レコード(Capitol Records)が、この地に設立されます。映画産業が急速に発展した、ハリウッドという土地の可能性に着目したのです。

 1946年には、映画会社のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)が、映画のサウンドトラックをリリースする目的でMGMレコードを設立。のちにロックやポップスを扱うレーベルとなります。

 1958年には、同じく映画会社のワーナー・ブラザースが、ワーナー・ブラザース・レコードを設立。このようにロサンゼルスでは、映画業界とも密接に関係したかたちで、音楽産業が発展していきます。

 また、ジャズの世界では、1940年代から「ウエストコースト・ジャズ」と呼ばれるムーヴメントが起こります。

 1960年代前半には、ディック・デイルやビーチ・ボーイズらの登場によって、サーフ・ミュージックが南カリフォルニアを中心に大流行。サーフ・ミュージックとは、簡単に説明するならば、リヴァーヴやトレモロ・ピッキングによって波の音を再現した、サーフィンに合う軽快なロックです。

 サーフィンは、ウクレレやスティール・ギターと共に、20世紀初頭にハワイから西海岸に伝わったと言われています。サーフィンを音楽で表現しようというサーフ・ミュージックは、まさにカリフォルニアおよびロサンゼルスらしい音楽であると言えるでしょう。

 1960年代中盤からは、ブルースを基盤にしながら独特の世界観を作り上げたドアーズ(The Doors)、フォークやカントリーを基調にサイケデリックなサウンドを響かせたバーズ(The Byrds)など、その後のUSインディーロックにも繋がる、ルーツ・ミュージックをオルタナティヴな感覚でアップデートするバンドが登場。

 1970年代に入ると、イーグルス(The Eagles)やTOTOなど、より作り込まれた明快なサウンドを持ったバンドが台頭し、ビッグ・ヒットを飛ばします。

インディー・シーンの形成

 ロサンゼルスの華やかな音楽シーンへのカウンターのように、1970年代後半から、ブラック・フラッグやバッド・レリジョンなどのパンク・バンドが台頭。1976年にブラック・フラッグのグレッグ・ギンによってSSTレコード、1980年にバッド・レリジョンのブレット・ガーヴィッツによってエピタフ(Epitaph)が設立され、その後のインディー・シーンを牽引します。

 1993年設立のハードコアを得意とするハイドラ・ヘッド(Hydra Head)、1998年設立のドゥームメタルやストーナーに特化したサザンロード(Southern Lord)、1999年にエピタフの姉妹レーベルとして設立されたアンタイ(ANTI-)などなど、現在に到るまでロサンゼルスにはパンクやヘヴィ・ロックを中心に、多くのレーベルが誕生し、豊かなインディー・シーンが形成されています。

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