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カレッジ・ラジオ (カレッジラジオ, College Radio)


目次
用語の意味
USインディーにおけるカレッジラジオ
CMJ (College Media Journal)

用語の意味

 カレッジ・ラジオ(college radio)とは、大学のキャンパス内や学園都市に開設される、学生運営のFMラジオ局のこと。キャンパス・ラジオ(campus radio)とも呼ばれます。

 基本的には大学からの補助金により、非営利で運営。したがって、広告主の顔色をうかがう必要なく、自由な放送が可能なわけです。

 また、運営者も大学生なら、リスナーもまた大学生。言ってしまえば、両者とも学歴のある音楽好き。

 そのため、メジャーの音楽とは一線を画した、実験的であったり、知性的なインディーロックが放送されるようになります。

USインディーにおけるカレッジラジオ

 日本のおよそ25倍という、広大な国土を持つアメリカ。しかし、主要メディアに取り上げられ、全国的に知られるのは、メジャーレーベルと契約する、ひと握りのバンドのみです。

 パンク・ブームがひとつのきっかけとなって、1970年代後半から、全米各地でインディーズ・バンド、およびインディペンデント・レーベルが増加。

 メジャーレーベルのような広告手段を持たない彼らにとって、カレッジ・ラジオやファンジンは主要な広告手段だったのです。

 また、カレッジラジオを運営する学生側も、「メジャーな音楽はクソ!」と考えるような、コアな音楽マニアだったわけで、インディーズ・バンドとカレッジラジオが手を取り合い、各地でインディーロック・シーンが形成されていきます。

CMJ (College Media Journal)

 カレッジ・ラジオを語るうえで外せないのが、1978年に創刊された雑誌『カレッジ・メディア・ジャーナル』(College Media Journal)。1982年には『CMJニュー・ミュージック・レポート』(CMJ New Music Report)と改称する、通称CMJです。

 同誌は、各地に点在するカレッジラジオ局の放送曲を集計し、チャートとして発表。全国の大学生が好む音楽が、顕在化されることとなります。

 当然のことながら、メジャーのチャートとは全く異なる、CMJの発表するカレッジ・チャート。全国の若者が好むリアルなデータとして、80年代をとおして影響力が増していきます。

 やがて、カレッジラジオをきっかけに、全国的な人気を得るR.E.M.のようなバンドも誕生。

 アメリカ国内のバンドだけでなく、アイルランド出身のU2、イギリス出身のザ・キュアー(The Cure)やザ・スミス(The Smiths)なども、カレッジ・チャートを足がかりにアメリカ進出を果たします。

 カレッジラジオおよびカレッジチャートで人気のロックを指す、カレッジ・ロック(college rock)という言葉も生まれました。

 前述したとおり、あまりにも広大な国土を持つアメリカ。各地のインディーシーン形成を促し、非メジャー的な音楽を紹介・定着させるうえで、CMJは多大な貢献をしたと言っていいでしょう。





ファンジン (Fanzine)


目次
用語の意味
USインディーにおけるファンジン
主要なファンジン

用語の意味

 ファンジン(fanzine)とは、「ファン(fan)」と、マガジン(magazine)の「ジン」が、くっついてできた言葉。

 その名のとおり、ファンによって執筆・運営される、特定の話題に特化した雑誌のことです。基本的には、ノンプロフェッショナルかつ非公式。

 日本でもそのまま「ファンジン」と使いますが、より馴染みのある言葉を使うなら、ファンが作る一種の同人誌と言った方が、イメージしやすいでしょうか。

 音楽にのみ使う言葉ではなく、SF小説やテレビゲームなど、様々なジャンルのファンジンが存在します。

USインディーにおけるファンジン

 アメリカのインディーロック文化において、ファンジンは非常に大きな役割を担ってきました。

 大手のレコード会社やテレビ局とは違い、販売網や広告手段に乏しいインディーズ・レーベルおよびバンド。

 そのため、現在のようにインターネットが普及する前、ファンジンはカレッジラジオと並び、主要な広告手段だったのです。

 ファンジンからスタートし、その後レーベルへと発展した例もあります。ニルヴァーナを輩出したことで知られる、サブ・ポップもそのひとつ。

 また、日本で言えば『rockin’on』(ロッキング・オン)誌のように、同人誌としてスタートしながら、大きな雑誌へと発展する例もあります。

 1970年代後半あたりから、メジャーレーベルとは契約できない、あるいはそもそもメジャーを目指さない音楽の受け皿として、各地でインディーズ・レーベルの設立が増加。

 それと比例して、各地でジャンルや地域性に特化したファンジンが誕生します。

 やがて、インターネットをはじめとした通信網の発達により、徐々にファンジンが担った役割はウェブサイトへと移行しますが、初期のインディーロック文化醸成を助けたことは間違いありません。

主要なファンジン

 時間軸に沿って、いくつかのファンジンをご紹介しましょう。

 まず、パンクのファンジンとして、共にロサンゼルスで1977年に創刊された、スラッシュ(Slash)フリップサイド(Flipside)。前者は1980年、後者は2000年まで、発行を続けました。

 のちにリサーチ(RE/Search)へと発展する、サーチ&デストロイ(Search & Destroy)がサンフランシスコで創刊したのも1977年。

 1982年に、同じくサンフランシスコで始まったマキシマムロックンロール(Maximumrocknroll)も、パンクとハードコアに特化したファンジンです。

 オハイオ州クリーヴランドを拠点にするオルタナティヴ・プレス(Alternative Press)は、1985年に創刊。

 パンクのファンジンとしてスタートした同誌ですが、90年代に入ると、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)や、サウンドガーデン(Soundgarden)を、世界的なブレイクに先駆けて表紙に起用。雑誌として大きく飛躍します。

 パンク・プラネット(Punk Planet)は、イリノイ州シカゴで1994年に創刊。その名のとおり、主に扱うのはパンクですが、時としてフェミニズムや労働問題も扱うなど、批評精神に満ちたファンジンです。