2, アメリカ合衆国の成り立ち


 こちらのページでは、USインディーロックを育む土壌となった、アメリカ合衆国の成り立ちを、簡単にご紹介したいと思います。当サイトは、USインディーロックの紹介をしながら、アメリカの歴史まで学べる、という素晴らしいサイトです(笑)

大航海時代と新大陸発見 (-1492年)

 まずは、アメリカ大陸に、ヨーロッパ人が植民してくる前の話から始めましょう。コロンブスが「新大陸」こと、アメリカ大陸を「発見」したのは1492年、のちのアメリカ合衆国成立につながる、イギリスから北米への植民が始まったのが1607年です。

 しかし、それよりも遥か昔から、北アメリカ大陸には多数の先住民族が暮らしていました。その数については諸説ありますが、ヨーロッパ人が本格的な植民(および侵略)を開始する前、北アメリカ大陸には500を超える部族が存在し、その総人口は300万から1000万人にのぼるのではないかと推測されています。

 では、ヨーロッパ人たちは、なぜ新大陸ことアメリカ大陸を目指したのでしょうか。端的に言ってしまえば、お金のためです。当時のヨーロッパでは、アジア原産の胡椒やシナモンなどの香辛料は、とても高価なものでした。しかし、交通の要所であるイスタンブールにはオスマン帝国が君臨し、ヨーロッパから東回りではアジアに向かうことができません。そのために、西回りの航路を開拓する必要があったのです。

 また、マルコ・ポーロの「東方見聞録」の記述から、アジアの東には黄金の国ジパングがあると、幻想的なイメージと共に信じられていました。

 そんなわけで、コロンブスしかり、実際に航海に出る船乗りたちは一攫千金を狙い、彼らをスポンサーとして支援する国家は富国強兵を狙い、大航海時代と呼ばれる時代が始まったのでした。そして、1492年のコロンブスによる「新大陸発見」へと繋がります。(実際には、高度な文明を持った先住民が多数暮らす大陸であり、「新大陸」でも「発見」でもないのですが…)

植民開始 (1492年-1620年)

 コロンブスの新大陸発見以降、当時のヨーロッパの列強各国が、次々と南北アメリカ大陸およびカリブ海に進出し、各地で植民地の建設が始まります。当サイトは、USインディーロックの紹介サイトですから、北アメリカに絞って話を進めます。

 のちにアメリカ合衆国として独立することになる、13州の植民地を作ったのはイギリスですが、それ以外の国も北米に進出し、期間の長さと規模の大きさに差はあれど、それぞれ植民地を建設していました。現在のアメリカ合衆国における、地域ごとの文化の差異を理解する上でも重要なので、各国がどのように北米に進出してきたか、いくつかの主要な国について簡単にまとめます。

スペイン

 南米やメキシコへの進出が目立つスペインですが、北アメリカにもかなり早くから進出しています。16世紀前半にはメキシコを征服し、メキシコより北の地域へも進出を始めます。まず1565年、フロリダ半島にサン・アグスティン(現在のフロリダ州セントオーガスティン)を建設します。

 さらに、1609年には現在のニューメキシコ州にサンタフェを、1710年にテキサスにサンアントニオ、1776年にカリフォルニアにサンフランシスコ、1781年に同じくカリフォルニアにロサンゼルスを、次々と建設します。見ての通り、すべて現在のアメリカ合衆国内にある都市です。

フランス

 イギリスにとって、北アメリカにおける、植民地獲得の最大のライバルと言えるのがフランスです。イギリスは1607年に、現在のヴァージニア州に本格的な植民を始めますが、フランスも1608年にケベック(現在カナダのケベック州)を建設し、そこを拠点にセントローレンス川流域、五大湖方面へと進出を続けます。

 さらに、ミシシッピ川流域にも進出し、そのあたり一帯をルイジアナと名づけ、その河口にラ・ヌーヴェル-オルレアン(現在のルイジアナ州ニューオーリンズ)を建設します。ちなみに当時の「ルイジアナ」は、現在のルイジアナ州だけではなく、ミシシッピ川流域の土地を含んだ、広大な地域を指します。

オランダ

 1609年からハドソン川流域へ探検活動を始め、1614年にフォート・ナッソー(現在のニューヨーク州オルバニー)を建設します。そして、1626年頃にはハドソン川の河口に位置するマンハッタン島に、ニューアムステルダムを建設。もちろん、ここは後にイギリス領となり、ニューヨークと改称される場所です。

イギリス

 では最後に、後のアメリカ合衆国の建国へとつながる、イギリスの植民活動を確認しましょう。取り上げるべき場所が多く、現在の都市ごとによる文化的差異にも直結してくるので、南部と北部にわけて、ご説明します。

ヴァージニアおよび南部

 先にも述べたとおり、イギリスが最初の恒久的な植民地「ジェームズタウン」を、現在のヴァージニア州内に建設したのは、1607年のことです。イギリスからヴァージニアに最初に渡った人々の目的は、基本的には一攫千金でした。そのため、家族単位ではなく、黄金を夢見た男性たちだけで海を渡っています。

 しかし、ヴァージニアには黄金郷など存在せず、植民初期の生活はかなり悲惨なものでした。そんななか、黄金と同じぐらい利益になることが始まります。タバコの栽培です。タバコはコロンブスが最初に持ち帰り、当時のヨーロッパではとても高価な嗜好品でした。そのタバコが、温暖なヴァージニアでは、豊富にとれることがわかったのです。

 こうして、大規模なタバコ農場の経営が始まります。しかし、タバコ栽培が軌道に乗り、多くの利益をあげるようになると、今度は農場を拡大するための労働力が不足します。本国イギリスから、アメリカへの移住を勧誘しますが、それでも全然足りない。

 やがて、安価な労働力として、アフリカの人々を輸入するようになります。1607年の植民開始から、僅か12年後の1619年には、早くも最初の奴隷制度が始まったという記録があります。このアフリカの人々が、やがてブルース、ジャズ、ゴスペル、ロックンロール、ヒップホップ、といった多くのアメリカ音楽を生むことになるわけですが、それはまだ先の話です。

ニューイングランドおよび北部

 続いて、北部に目を移しましょう。ヴァージニアに一攫千金を夢見て渡った人々とは、全く別種のグループが、1620年に現在のマサチューセッツ州に渡り、プリマスに植民地を建設します。彼らは「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれる人々です。

 彼らの目的は、ヴァージニアに渡った人々とは、180度と言っていいほど異なっていました。彼らは、キリスト教のなかでピューリタン(日本語では清教徒)と呼ばれるグループに属する人々で、イングランド国教会の改革を目指していましたが、イギリス本国では迫害され、自分たちの理想の宗教を実現するための場所を作るために、アメリカへ渡ってきたのでした。そのため、最初から家族単位での移住が多かったのです。

 こうして、南部のヴァージニアとは異なった雰囲気を持つ植民地が、北部には発展していくことになります。また、ヴァージニアよりも遥かに寒いマサチューセッツでは、タバコの栽培はもちろん、農作物の栽培も非常に困難で、試行錯誤しながら厳しい生活を送っていくことになります。

植民地の発展と独立 (1620年-1783年)

 アメリカ史を勉強するサイトではありませんので、このあたりは本当にすっ飛ばしていきたいと思います。(早く音楽の話題に入りたい…)

 重要なのは、地域によって異なるモチベーション、異なる価値観、異なる出自を持つ人々が、それぞれ自分たちの理想を実現するために植民地を建設し、各地に文化の異なる個性的な都市ができあがっていった、ということです。また、南部にアフリカ系住民が多い理由も、先ほどのヴァージニア植民地の成り立ちの紹介で、ご理解いただけたと思います。地域や都市によって、同じ国とは思えないほどに、文化や人種構成が異なるのがアメリカです。

 先ほどはヴァージニアとマサチューセッツのみ取り上げましたが、「独立13州」と言われるとおり、1776年に独立宣言を発表するまでには、東海岸に13州の植民地が成立していました。ヴァージニアとマサチューセッツも含め、イギリス本国から許可を受けた者がアメリカに渡航し、植民地を建設する、というかたちで発展していきます。

 発展を続けるアメリカ植民地に対して、本国イギリスは高い税金をかけて、利益を確保しようとします。それに反発を強めたアメリカに住む人々が、イギリスに対し独立戦争を起こし、見事に独立を勝ち取るわけです。そして、アメリカ合衆国の誕生は、同時に「アメリカ人」を誕生させます。

 基本的にすべての国民が移民であるという、特異な国家アメリカ。独立後はさらに発展と膨張(および侵略)を続け、移民の数も増大します。この広大な土地に、多種多様な移民が集う状況が、アメリカ人およびアメリカ文化を作り上げていくことになるわけです。

次のページ「3, アメリカの発展と膨張」へ





コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください