目次
・イントロダクション
・ニューヨーク・パンクの誕生 (1970年代前半〜)
・イギリスでのインディー・レーベルの隆盛
・アメリカでのインディー・レーベルの隆盛
・パンクからの派生 (1970年代後半〜)
・ロック誕生からUSインディーまでの流れ
・ディスク・ガイド
イントロダクション
ここまで順番にお読みいただいた方には、内容が重複する部分もありますが、ここからの「第2部」は実際に各地でインディー・シーンが形成され、インディペンデント・レーベルが生まれていく過程をご紹介します。
「第1部」に比べると、インディーズのバンド名やレーベル名を多く挙げていきますので、違った印象でお読みいただけると思います。まずは、1970年代後半から、全米各地にインディー・シーンが生まれていく前段階、ニューヨーク・パンクの誕生から話を始めましょう。
と、その前に、なぜパンクをUSインディー・ロックの出発点に位置づけるのか、ご説明します。詳細は後述しますが、パンクの特徴のひとつとして、既存の音楽やシステムへの、反抗であることが挙げられます。
巨大な資本が投入されたシステムと、大衆に寄り添ったコマーシャルな音楽。そうした体制へのカウンター精神が、パンク・ブームが去った後にも、一部のバンドに多大な影響を及ぼし、ハードコアやローファイへと変化、さらにはオルタナティヴ・ロックへと繋がっていくのです。
パンクからジャンルが派生していく流れを意識すると、これから記述する話の見通しも、良くなることでしょう。それでは、まずは1970年代のニューヨークから、話を始めます。
ニューヨーク・パンクの誕生 (1970年代前半〜)
ロックが生まれたのは1950年代。当時から、サン・レコードやチェス・レコード、エレクトラなど、ロックを扱うインディペンデント・レーベルは生まれていました。
しかし、現在の「USインディー・ロック」に、直接的に繋がるレーベルと文化が生まれ始めるのは、1970年代後半から。そのUSインディー・ロック文化の前段階となるのが、ニューヨーク・パンクおよび世界規模でのパンク・ムーブメントです。パンクは音楽性と精神性の両面で、のちのUSインディー・ロックの基礎となりました。
パンク・ロックの第一世代というと、セックス・ピストルズやザ・クラッシュなど、ロンドン・パンクのバンドを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。僕自身もそうです。
しかし、後に「ニューヨーク・パンク」に括られることになるバンド群が結成されたのは、ロンドン・パンクのバンドよりも少しだけ早く、ニューヨークのバンドを模倣するかたちで、ロンドンのパンク・バンドたちが結成されていったと言われています。
では、ニューヨーク・パンク誕生のきっかけとなり、彼らに影響を与えたバンドや文化は何か? バンドでいえば1960年代に活躍した、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやMC5、イギー・ポップ率いるザ・ストゥージズなど。文化現象を挙げると、やはり1960年代に起こったビート・ジェネレーションやヒッピー・ムーブメントなど、既存の価値観に反対するカウンターカルチャーです。
アート性と実験性の高い音楽を志向した、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド。R&Bを下敷きにした音楽性を持ちながら、過激なライブ・パフォーマンスと言動が評判を呼んだMC5。そして、MC5と共にガレージ・ロックの代表バンドと目され、こちらも過激なライブ・パフォーマンスが注目されたザ・ストゥージズ。
いずれのバンドも、1960年代当時は、商業的な成功を収めることはできませんでした。しかし、音楽産業が発展し、メジャー・レーベルがビッグ・ヒットを生み出すなかで、メジャーとは一線を画する音楽性を持つ彼らは、カウンターとして一部の音楽ファンの熱烈な支持を集めることになります。
そうして、彼らに影響を受け、1973年から74年にかけて結成されたのが、テレヴィジョン、トーキング・ヘッズ、ラモーンズの3バンド。彼らは音楽的には、多くの共通点は認められないものの、やがて「ニューヨーク・パンク」というジャンルに分類され、その代表バンドと目されるようになります。
ちなみに「パンク・ロック(punk rock)」という言葉は、1960年代から1970年代前半のガレージ・バンドを形容するため、アメリカの批評家たちが用いたのが、起源だと言われています。
1970年代に入ると、ロックは良くも悪くも、ますます巨大な音楽産業に組み込まれ、また音楽的にも、ハード・ロックやプログレッシヴ・ロックなど、テクニカルで洗練されたものが主流となっていきます。そんな時代に逆行するように、大衆に受け入れられることよりも、自らの表現にプライオリティを置いた、ニューヨーク・パンクのバンドたち。
ライダースジャケットとダメージ・ジーンズを着こみ、初期衝動をそのまま音にしたような、シンプルなロックを鳴らし続け、最も「パンク・ロック」のパブリック・イメージに近いバンドと言ってもよいラモーンズ。文学的な歌詞と、アート性の高い音楽を併せ持ったテレヴィジョン。美術大学出身らしい知性を持ち、アフリカ的なリズムを取り入れるなど、ロックの枠にとどまらない音楽を展開するトーキング・ヘッズ。
例に挙げた3バンドは、それぞれその後のUSインディー・シーンに、多大な影響を与えることになります。
イギリスでのインディー・レーベルの隆盛
続いて、イギリスに視点を移しましょう。ピストルズをはじめ、初期のロンドン・パンクのバンドにおいて強調されるのは、演奏や作曲のスキルよりも、とにかく叫びたいことがある!という態度。言い換えれば、演奏家としてのプロフェッショナリズムよりも、アマチュアリズムに貫かれた音楽です。
ピストルズは、数々のトラブルを引き起こしながらも、1stアルバムをメジャーのヴァージン・レコードより発売。ピストルズと並び、ロンドン・パンクを代表するバンドであるザ・クラッシュも、メジャーのCBSからのデビュー。しかし、彼らと共に、ロンドン・パンクの三大バンドとも呼ばれるザ・ダムドは、インディーズのスティッフ・レコード(Stiff Records)からデビューしています。
それまでは、メジャー・レーベルに引き上げられる形でデビューというのが基本だったのが、パンクの誕生とブームを境目に、徐々に小規模なレーベルが、自らの理想に従って作品をリリースする、というインディーズ文化が誕生。その理由は、音楽性と精神性の両面で、パンクは本質的にメジャーとは相反するものであること、メジャーへのカウンターとして、個性的かつマイナーな音楽を支持するリスナー層が形成されていたこと、などが挙げられます。
こうしてイギリスでは、1970年代後半から、パンクやポストパンクをリリースするインディペンデント・レーベルが、次々と起こります。ベガーズ・バンケット、ラフ・トレード、チェリーレッド、ファクトリー、4ADの各レーベルは、1977年から1979年にかけて設立。その後のイギリスのポピュラー音楽史においても、重要な役割を果たす多くのレーベルが、この時期に活動を始めています。
アメリカでのインディー・レーベルの隆盛
同じような動きは、アメリカでも起こります。パンク的なDIY精神を持った、あるいはアングラ志向の音楽を目指すバンドが増加し、各地でメジャー的な音楽とは一線を画したシーンが誕生。同時に、それらの受け皿として、地域や音楽性に根ざしたレーベルが多数生まれます。
イギリスでは、ベガーズ・バンケットやラフ・トレードをはじめ、レコード店がレーベルを開業する例が多かったのに対し、アメリカではバンド自身が設立、あるいは大学構内のカレッジラジオ局や、ファンによる同人誌(ファンジン)が母体となり、レーベルへと発展する例が多数でした。
レコード店という既存の組織と販路を利用し、発展していったイギリス。有志が集ったコミュニティ単位で、発展していったアメリカ。多角的にいろいろな要素が絡んでいるため、このような差異が生まれた理由は、一言ではあらわせません。しかし、あえて理由をひとつ挙げるならば、アメリカの国土の広さです。
イギリスでは、レコード・ショップが立ち上げたレーベル同士が協力し、各地のショップを繋いで、独自の販路を構築することができました。それは、国土がコンパクトだったからこそ、可能だったこと。
イギリスに比べて、遥かに広大な国土を持つアメリカでは、都市ごとの移動が容易ではありません。アメリカにも、レコード・ショップがレーベルを始めた例はいくつもありますが、比率にすると小さいものでした。その理由のひとつは、小規模な地方のレコード店同士が提携しにくく、ショップがレーベルを始めるメリットが少ないためでしょう。
また、インターネットが普及した現在と比較すると、当時は情報が伝わる量は格段に少なく、スピードも遅かったはず。物理的な距離が、文化的な違いを生み出し、それぞれの街ごとに、独特な音楽文化を育むことになったのではないでしょうか。
こうしてアメリカでは、メジャーとインディーズの差が、イギリス以上にクッキリと分かれていきます。1980年代に入ると、メジャー・レーベルはMTVと全米規模の流通網を用いてメガヒットを飛ばし、インディー・レーベルは各地で個性的な音楽を発展させていくことになるのです。
もうひとつ、ロンドン・パンクとニューヨーク・パンクについて、相違点を指摘しておきます。政治的に反抗的なロンドンに対し、音楽的に反抗的なニューヨーク。両者には、精神性にもこのような違いがありました。
ピストルズをはじめとした初期ロンドン・パンクのバンドは、既存の社会制度や政治体制への批判が、音楽自体よりも前景化されていました。ピストルズの「Anarchy in the U.K.」や、ザ・クラッシュの「White Riot」は、特に象徴的。既存の体制への反抗心が、音楽への大きなモチベーションになっています。
それに対してニューヨーク・パンクのバンドは、社会の制度ではなく、音楽の制度へ反抗的な態度をとっています。あくまで音楽的にはシンプルなロックンロールを下敷きにしているロンドン・パンクに対し、テレヴィジョンやトーキング・ヘッズなどニューヨークのバンドは、内省的な歌詞や非ロック的なリズムの導入など、既存のメジャー路線のポップスには背を向け、芸術的なこだわりを見せています。
彼らがこのような音楽を志した理由のひとつとして、タブーに挑んだ歌詞と、不協和音を用いた実験性の高い音楽を志向した、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドからの影響が、少なからずあるでしょう。
音楽的に反抗心を見せることに、軸足を置くバンドが多い、ニューヨーク・パンク。そのため、ニューヨーク・パンクに分類されるバンドは、ロンドン・パンクと比較して、音楽性が多岐に渡ります。
前述したラモーンズ、テレヴィジョン、トーキング・ヘッズに加え、ロンドン・パンクに近い質感のニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ(Johnny Thunders & The Heartbreakers)、リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ(Richard Hell & The Voidoids)、詩人としても活躍したパティ・スミス(Patti Smith)、ニュー・ウェイヴ色の濃いブロンディ(Blondie)やスーサイド(Suicide)などなど。
もちろん、ロンドン・パンクのザ・クラッシュが徐々にレゲエに接近したり、ニューヨーク・パンクのラモーンズがシンプルな3コードのロックを極めたりと、必ずしも「ロンドンとニューヨーク」「芸術性と政治性」といった二項対立で、単純化できる話題ではありません。
しかし、大きな流れとして、ロンドンとニューヨークにおける精神性の違いを指摘しておくことは、その後のインディー・ロックへの流れをつかむ上でも参考になるため、ここで取り上げました。
パンクからの派生 (1970年代後半〜)
次に、パンクが生まれ、やがて多様なジャンルへと発展していく過程を、振り返りましょう。
ピストルズがシングル『Anarchy in the U.K.』で、1976年にメジャー・デビューしたあたりから、世界的に広がったパンク・ムーヴメント。その後、パンクは沈静化に向かい、ニュー・ウェイヴやポストパンクなど、様々なジャンルへと枝分かれしていきます。
パンク・ロック、特にイギリスのロンドンで生まれたセックス・ピストルズの衝撃は凄まじく、音楽のみならずファッションも含めたムーヴメントとして、世界中でセンセーションを巻き起こしました。しかし、メンバー間およびマネージャーのマルコム・マクラーレンの人間関係の悪化により、バンドは空中分解。
ちなみにマルコム・マクラーレンは、1974年に渡米した際、ニューヨーク・ドールズと出会い、彼らの非公式なマネージャーに就任。ニューヨーク・ドールズは2年後の1976年に解散してしまいますが、マクラーレンは当時のニューヨーク・パンクに多大な影響を受け、のちのピストルズ結成へと繋がったと言われています。
1978年の実質的なピストルズ解散に呼応するように、パンク・ムーヴメントも終息に向かいます。その後、イギリスではロンドン・パンクの影響を受けつつ、電子楽器やダンス・ビートを取り入れた、ニュー・ウェーヴやポストパンクが勃興。新たな時代に入ります。
話をアメリカに戻しましょう。ロンドン・パンクほどは、世界的にセンセーションを巻き起こすことはなかったニューヨーク・パンクですが、パンクからポストパンクへという流れは、ここアメリカでも起こります。というより、テレヴィジョンやトーキング・ヘッズなどは、元々シンプルなパンク・ロックの範疇には、収まりきらない音楽性を持っていた、とも言えるでしょう。
パンクの攻撃性をさらに先鋭化させたハードコア・パンク、レゲエやファンクを取り入れたポストパンク、実験性とアート性を増したノー・ウェーブ、ディスコや電子音楽に接近したニュー・ウェーヴ、といった具合に次々と新しい音楽を志向するバンドが、全米各地に生まれます。
そして、メジャー・レーベルには受け入れらない、そもそも当人たちがメジャーと契約して大ヒットを飛ばすことを目指さないバンドたちの受け皿として、各地にジャンルや地域に特化した、個性的なインディー・レーベルが生まれていくのです。
ロック誕生からUSインディーまでの流れ
では最後に、ロックが誕生してから、USインディー・レーベルが生まれるまでの過程を、ざっとまとめておきます。
まず1950年代にロックンロールが誕生。その後、1960年代に入ると、イギリスのビートルズやローリング・ストーンズの活躍により、商業的にも音楽的にも、ロックの影響力が拡大。この時期に、ロックンロールは、単に「ロック」と呼ばれるようになります。
さらに1960年代から1970年代にかけて、フォーク・ロック、ガレージ・ロック、サイケデリック・ロック、ハード・ロック、プログレッシブ・ロックなど、多くの派生ジャンルが生まれ、ロックの人気と影響力はますます増加。
それと並行して、地下水脈のように、前述のヴェルヴェット・アンダーグラウンドや、ニューヨーク・パンクに括られる一連のバンドも誕生。拡大を続けるロック産業の裏で、メジャー・レーベルの枠には収まらない、豊かな音楽が育まれていきます。
あまり話を単純化しすぎるのは良くありませんが、補助線として、具体的なバンド名を挙げながら、いくつかの流れも示しておきたいと思います。
まず、60年代のMC5やザ・ストゥージズ等のガレージ・バンドから、ラモーンズ、その後のハードコア・パンクへと繋がる、攻撃性やシンプリシティを引き継いでいく流れ。ジャンルで示すと、以下になります。
ガレージ・ロック→ニューヨーク・パンク→ポストパンク、ハードコア、ポスト・ハードコアなど
そして、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドから始まり、テレヴィジョンへ、さらにソニック・ユースへと繋がっていく流れ。ジャンルで示すと下記のとおり。
アート・ロック→ニューヨーク・パンク→ノー・ウェーブ、ノイズ・ロックなど
もちろん、これは恣意的な例であり、単純化して示そうと思えば、いくらでも示せるものです。重要なのは、このような縦線の流れが、いくつも存在し、多くの個性的な音楽とジャンルが生まれたということ。
地上ではメジャー・レーベルの資本による、ビッグ・ヒットが生み出され、わかりやすい大きな歴史が書かれるのに対して、地下では脈々と、無数の小さな歴史が生まれていたのです。USインディー・ロックの魅力のひとつは、この多様性にあります。
ディスク・ガイド
このページで取り上げたバンド、および関連バンドのディスクガイドです。
The Velvet Underground “The Velvet Underground And Nico” (1967 Verve)
ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド 『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』 (1967年 ヴァーヴ)
1967年に発売された、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビュー・アルバム。芸術家のアンディ・ウォーホルが、プロデューサーを務めています。ヴェルヴェッツという略称で呼ばれることもあります。
アンディ・ウォーホルがプロデューサーとジャケットのデザインを務めたという話題性も含め、実験性とアート性を併せ持った本作は、その後のニューヨーク・パンク、ノー・ウェーブ等へ直接的に繋がるアルバム、と言ってよいでしょう。
わかりやすく爆音ノイズや不協和音を鳴らすのではなく、ゆったりとしたテンポに乗せて、静かに壊れていくような音楽性と、当時のタブーに挑んだ内省的な歌詞が、本作の魅力。
The Stooges “The Stooges” (1969 Elektra)
ザ・ストゥージズ 『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』 (1969年 エレクトラ)
イギー・ポップが在籍したガレージロック・バンド、ストゥージズのデビュー・アルバム。プロデューサーを務めるのは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル。
ガレージ・ロックかくあるべし!と言いたくなる、ざらついたサウンドで、ドタバタ感のある立体的なアンサンブルが展開される本作。音圧の高い現代的なハイファイ・サウンドと比較すると、迫力不足に感じられるかもしれませんが、初期衝動をそのまま音に変換したようなプリミティヴなサウンドは唯一無比。
その後のパンク・バンドに、多大な影響を与えました。4曲目の「No Fun」は、セックス・ピストルズがカバーしています。ピストルズによるカバーは、元々はシングル『Pretty Vacant』のB面に収録。現在はアルバム『Never Mind The Bollocks, Here’s The Sex Pistols』に、ボーナス・トラックとして収録されています。
Ramones “Ramones” (1976 Sire)
ラモーンズ 『ラモーンズの激情』 (1976年 サイアー)
ラモーンズのデビュー・アルバム。ニューヨーク・パンクに括られるバンドには、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響がにじむ、アート志向のバンドが多いのですが、ラモーンズはロックのシンプリシティを追求し続けたバンド。
3コードのシンプルな進行、キャッチーなメロディー、英和辞典が無くとも理解できる親しみやすい歌詞。ロックンロールの魅力と快楽が、凝縮された音楽を作り続けました。
1stアルバムである本作にも、1曲目「Blitzkrieg Bop」、3曲目「Judy Is A Punk」、4曲目「I Wanna Be Your Boyfriend」など、名曲を多数収録。
Television “Marquee Moon” (1977 Elektra)
テレヴィジョン 『マーキー・ムーン』 (1977年 エレクトラ)
1973年に結成されたバンド、テレヴィジョンのデビュー・アルバム。ラモーンズと同じくニューヨーク出身ながら、その音楽性は大きく異なります。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやアヴァンギャルド・ジャズからの影響が強く、各楽器が複雑に絡み合うアンサンブルと、時に激しく唸りをあげ、時にアヴァンギャルドなフレーズを繰り出すギターが耳を掴みます。
歌詞とサウンドの両面から、知性と狂気がにじみ出る、ニューヨークのアングラらしい質を備えた名盤。
Talking Heads “Talking Heads: 77” (1977 Sire)
トーキング・ヘッズ 『サイコ・キラー’77』 (1977年 サイアー)
ニューヨーク・パンクに属するバンドのひとつに目される、トーキング・ヘッズの1stアルバム。しかし、ニューヨーク・パンクに分類される他のバンドにも言えることですが、シンプルなロックンロールを下敷きにしたパンクというより、ニュー・ウェイヴやポストパンクに近い音楽性を持っています。
本作も、8ビートやディストーション・ギターなどの分かりやすいロック色は薄く、リズム構造もアンサンブルも、より複雑で立体的。クセのあるリズムと、ねじれたアンサンブル、演劇じみたボーカルなど、知性と実験性を含んだ音楽を展開しています。
Talking Heads “Remain In Light” (1980 Sire)
トーキング・ヘッズ 『リメイン・イン・ライト』 (1980年 サイアー)
トーキング・ヘッズの4thアルバム。1stアルバムから比較して、ロック色はさらに後退。ニュー・ウェイヴやポストパンクも飛び越えて、ワールド・ミュージックおよび伝統音楽からの影響が強く出た、非ロック的な音楽を繰り広げています。
多種多様なリズムが取り込まれ、4人組のバンドのフォーマットに消化され躍動する本作は、今聴いても十分にオリジナルで刺激的。トライバルなリズムに、西洋音楽的なコーラスワークが重なり、ダンス・ミュージックとしても、新しいロックとしても秀逸。
小刻みなリズムに、多層的に楽器とコーラスが重なっていく、3曲目「The Great Curve」など、本当に最高です!
Sex Pistols “Never Mind The Bollocks Here’s The Sex Pistols” (1977 Virgin)
セックス・ピストルズ 『勝手にしやがれ!!』 (1977年 ヴァージン)
ロンドン・パンクのみならず、パンク・ロックを象徴するバンドと言っても過言ではない、ピストルズが残した唯一のオリジナル・アルバム。
音楽的には、3コードを基本としたシンプルなロック。ハード・ロックに比べて音もしょぼいし、プログレッシブ・ロックに比べてテクニックは稚拙。初めて聴いたときは、このバンドがどうして、伝説的な存在なんだろう?と不思議に思ったものです。
しかし、しばらく聴いていると、演奏からにじみ出る、怒りや苛立ちなど溢れ出るエモーションに圧倒され、いつの間にか虜になっていました。音楽には、感情を伝える力があり、楽譜にあらわせないテクニックがあるということを、教えてくれる1枚。ジョニー・ロットンの癖のあるボーカルも唯一無比。
The Clash “The Clash” (1977 CBS)
ザ・クラッシュ 『白い暴動』 (1977年 CBS)
ピストルズと並び、ロンドン・パンクを代表するバンド、ザ・クラッシュの1stアルバム。リリースしたオリジナル・アルバムは1枚、実質2年ほどの活動期間で解散したピストルズに対し、クラッシュは6枚のアルバムをリリース。
シンプルなロックンロールからスタートしながら、徐々に多様なジャンルを取り込み、キャリアを通して音楽性を広げていきました。
本作は、デビュー・アルバムらしく疾走感に溢れ、歌詞にはダイレクトなメッセージが並びます。ピストルズの『Never Mind The Bollocks Here’s The Sex Pistols』と並び、聴き手をアジテートする力に満ちた名盤。
The Damned “Damned Damned Damned” (1977 Stiff)
ダムド 『地獄に堕ちた野郎ども』 (1977年 スティッフ)
ピストルズ、クラッシュと共に、ロンドン・パンクの三大バンドに数えられるダムドの1stアルバム。現在の地名度は、ピストルズとクラッシュに比べて劣るものの、1976年にこれら3バンドの中でいち早くシングルをリリースしたのは、このダムドです。
シンプルなリズム構造とコード進行に、過激な歌詞が重なり、初期パンクの魅力を存分に持った1作。
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