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 子供のころから音楽が大好きです! いろいろな音楽を聴いていくうちに、いつのまにやらUSインディーズの深い森へ。  主にアメリカのインディーズ・レーベルに所属するバンドのディスク・レビュー、レーベル・ガイドなどをマイペースに書いています。インディーズの奥の深さ、楽しみ方、おすすめのバンドなど、自分なりにお伝えできればと思っています。お気に入りのバンド、作品、レーベルを探すうえで、少しでも参考になれば幸いです。

Rafiq Bhatia “Breaking English” / ラフィーク・バーティア『ブレイキング・イングリッシュ』


Rafiq Bhatia “Breaking English”

ラフィーク・バーティア (ラフィク・バーティア) 『ブレイキング・イングリッシュ』
発売: 2018年4月6日
レーベル: ANTI- (アンタイ)

 実験的な音楽を展開するバンド、サン・ラックス(Son Lux)のメンバーである、ラフィーク・バーティアの2ndアルバム。エピタフの姉妹レーベルでもある、アンタイからのリリース。

 東アフリカとインドにルーツを持ち、1987年にノースカロライナ州ヒッコリーで生まれ、同州ローリーで育ったラフィーク・バーティア。移民が作り上げた国アメリカでは、複雑なルーツを持つことは珍しいことではありません。

 バーティアの音楽の興味は、祖父が朗読するジナン(Ginans)と呼ばれるイスラム教イスマーイール派の詩と、ラジオで聴くギャングスタ・ラップから始まり、高校生になるとギターを始めています。

 前述のとおり、サン・ラックスのメンバーとしても活動しているラフィーク・バーティア。本人名義のアルバムとしては、2012年リリースの『Yes It Will』以来6年ぶりの作品となります。

 一聴すると、まずどのジャンルにカテゴライズすべきか迷ってしまいます。もちろん、ジャンル分けが音楽の聴き方を決めるわけではないのですが、それほど本作の間口が広く、オリジナリティに溢れているということ。

 リリース以来、各所でポジティヴな評価を得ている本作ですが、ジャズ系のメディアにも、ロック系のメディアにも取り上げられているところも、良い意味での掴みにくさを示唆しています。

 このアルバムの魅力を一言で表すなら、作曲と即興がシームレスに共存しているところ。つまり、あらかじめ決められ、丁寧に作り上げられた「作曲」の要素と、その場のインスピレーションによる、いきいきとした「即興」の要素が、対立することなく両立しているということです。

 いわゆる歌モノのように、わかりやすい構造を持った楽曲群ではありませんが、かといって音響系のポストロックやエレクトロニカのように、完全に音の響きのみを重視した音楽というわけでもありません。

 音響を前景化した面もありながら、ジャズの即興性と躍動感、そして設計図を元に組み立てられたかのような整然さが、奇跡的なバランスで成り立っています。

 例えば4曲目の「Before Our Eyes」では、立体的でトライバルなビートに、ヴァイオリンの躍動的なフレーズが重なり、グルーヴ感に溢れたアンサンブルへと発展。それぞれのリズムとフレーズには、即興性を感じさせるフリーな雰囲気がありながら、楽曲の展開はまるで映画のワンシーンにあてられたサウンドトラックのように滑らかです。

 また、ポストロック的なレコーディング後の編集を感じさせるのも、本作の特徴。アルバム表題曲の6曲目「Breaking English」では、ギターのフレーズ、断片的なドラムのリズム、エフェクトのかかったボーカルなどが折り重なるように音楽を構成していきます。

 アルバムのラストを飾る9曲目「A Love That’s True」は、アコースティック・ギターのオーガニックな音色と、エフェクトを駆使したサウンドが溶け合い、強弱を変えながら押し寄せる風のような、パワフルかつコントラストの鮮やかな音楽を作り上げています。

 即興と作曲、電子音と生楽器、生演奏とポスト・プロダクション。相反すると思われるふたつの要素を融合し、新たな音楽を作り上げていく、スリリングなアルバムと言えます。

 真の意味でオルタナティヴな作品をリリースし続けるレーベル、アンタイ(ANTI-)からのリリースだというのも、個人的には妙に納得してしまうクオリティ。

 思わず体が動き出す躍動感と、ヘッドホンで集中して聴くべき世界観を持ち合わせた名作です。

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13, グランジ革命 (1990年〜)


目次
イントロダクション
MTVの問題点
LAメタル
グランジの誕生
サブ・ポップ
グランジ・ブームの到来
レーベル紹介
ディスク・ガイド

イントロダクション

 1980年代。メインストリームでは、1981年に開局したMTVが全盛を迎え、メジャー・レーベルはますます巨大化。

 メジャー・レーベルと契約し、ビッグ・ヒットを飛ばすロック・バンドも誕生します。音楽はテクニカルで洗練され、視覚的にも華やか。巨大なスタジアムでコンサートをおこなうメジャー・バンドの一部は、アリーナ・ロック(Arena rock)、産業ロック(Corporate rock)と呼ばれるようになります。

 いずれも、60年代のロックが持っていたカウンター・カルチャーとしての魅力が薄れ、商業化していくロックに対する、嘲笑的なニュアンスを含む言葉です。

 一方で、70年代後半から、インディペンデント・レーベルやカレッジ・ラジオが温床となり、メジャーとは一線を画した音楽性を持つインディーズ・シーンが、全米各地で形成。

 商業化とエンターテインメント化の行きすぎたメジャーの音楽よりも、インディーズ的な音楽を好む層が、若者を中心に着実に増加していきます。

 そして、1990年代に入るとグランジ・ブームが勃発。着火点となったのは、それまでは文化の中心地ではなかった、西海岸のはずれの都市・シアトルのインディー・シーン。

 シアトル拠点のインディー・レーベル、サブ・ポップからデビューしたニルヴァーナ(Nirvana)は、1991年リリースの2ndアルバム『Nevermind』でメジャーへ進出し、現在までに米国内だけで1000万枚を超える、驚異的なセールスを記録。

 ニルヴァーナ以外にも、多くのバンドがメジャー・レーベルと契約し、それまで地下で育まれてきたインディーズ的な音楽が、一気に地上のメインストリームへ浮上します。

 このような現象が起こった要因のひとつは、それまでインディーロックを聴いてこなかった層にも、メジャー的音楽に対する不満が、潜在的に存在したこと。

 このページでは、80年代に全盛を極めたMTV、そしてロックのメインストリームとなったLAメタルの問題点を指摘し、その後でカウンターとして、グランジおよびオルタナティヴ・ロックが浮上する過程をご紹介します。

MTVの問題点

 前述のとおり、1981年に放送を開始し、80年代を通して音楽産業の中心となったMTV。もちろん、売れているから悪い、金を稼いでいるから悪い、というわけではありません。

 それでは、MTVの何が問題なのか。端的に言えば、音楽よりも視覚性が重視されていることです。つまり、華やかな映像で圧倒し、音楽はBGMに過ぎない。音楽の良し悪しよりも、映像も含めたエンターテインメント性が重視されているということ。

 もちろん、映像と共に音楽自体も優れている、マイケル・ジャクソンのような人物もいたわけですが、テレビを通して魅力を伝えるためには、視覚的に分かりやすいものが好まれます。

 そのため、音楽よりも映像を売り物にする、音楽のクオリティよりもルックスを重視するシステムが、出来上がっていったのです。退屈ならチャンネルを変えられてしまう、テレビというメディアの特徴も、この流れに拍車をかけたのでしょう。

 ルックスの悪い地味なバンドや、反抗的な歌詞を持ったパンク・バンドなどは、メジャー・レーベルと契約してMTVの放送に乗ることはなく、即効性のある分かりやすいルックスやパフォーマンスを持ったバンドがメジャーに進出し、ビッグヒットを飛ばすことになります。

LAメタル

 そんなMTV全盛の時代において、ロックのメインストリームとなったのがLAメタル。

 「LAメタル」という用語自体は、日本でのみ流通する独自の呼称ですが、80年代にロサンゼルスを拠点にするロック・バンドが、多数メジャー・デビューし、活躍したのは事実です。

 LAメタルに括られるバンドに共通するのは、派手な髪型や、華やかな衣装。テクニカルな音楽性と、ゴージャスなサウンド。

 彼らはまさに、MTVの申し子と呼ぶべきクオリティを備えていました。というより、MTVに合わせて、このようなロックが発展していったと捉えるべきでしょう。

 即効性を求められるテレビというメディアを、最大限に利用するため、できる限り髪を伸ばし、できる限り髪を逆立て、できる限り派手な衣装を着て…といった具合に、ルックスはどんどん浮世離れし、演出はエスカレートしていきました。

 さらに音楽面においても、「LAメタル」という呼称のとおり、ハードロックやヘヴィメタルが下地にしながら、分かりやすい速弾きやギターリフ、音圧の高いサウンド・プロダクションなど、やはり即効性のあるアレンジに傾いていきます。

 そして、肝心のミュージック・ビデオ。バンドは派手な衣装を着こみ、ゴージャスな美女をはべらせ、「セックス、ドラッグ、ロックンロール!」を具現化したようなビデオが、数多くあります。

 一見すると、既存の価値観へのカウンターとして機能する、ロックの特徴を多分に含んでいるようにも見えます。しかし、実際は既存の価値観への反抗に基づくのではなく、ただ過激さを追い求めたもの。

 60年代から70年代にかけてのカウンター・カルチャーとしてのロックとは異なり、いわばロックの過激さを、商品としてパッケージ化したものに過ぎないとも言えるでしょう。

 こうして、華麗なルックスと、過激なイメージ、ハードロックをポップに寄せた音楽性を持ったバンドが、セールス的には80年代ロックのメインストリームとなります。

グランジの誕生

 こうして形成されていった、メジャー的なロック。80年代をとおして、メジャー・レーベルが配給するロックは、音楽的に新しいものは乏しく、画一化されていきます。

 前述したように、まずはMTVを筆頭としたメディアで耳目を集めるため、重要視されたのは分かりやすいパフォーマンス。そこには、前衛的な音楽は必要とされず、70年代までのロックを焼き直した、保守的なロックの方が好まれました。

 ただ、実際に大衆が好んでいたというよりも、メジャー・レーベル側が音楽の先進性よりも、華やかなエンターテインメント性の方を、より重要視していたということです。

 そのため、LAメタルとは異質の過激さを持ったハードコア・パンクや、あまりにもアヴァンギャルドなノー・ウェーヴなどが、メジャーでメガヒットを生むことはありません。

 同時に、ニューヨークやロサンゼルスなど大都市ではない、スカウトの目の届かない地方で活動するバンドにも、メジャーへの道はほぼ閉ざされていました。

 しかし、彼らは自らレーベルを起こし、MTVとは対照的なカレッジ・ラジオ局とも連携。1980年代末には、全米各地に個性的なインディー・シーンが生まれていました。

 グランジ・ブームの着火点となった、ワシントン州シアトルもそのひとつ。アメリカ西海岸の北端に位置するシアトル。現在のワシントン州が、ワシントン準州としてアメリカ領土となったのは1853年。州として認められたのは1889年です。

 歴史も浅く、グランジで脚光を浴びるまでは、シアトルが文化の中心地として注目されることは、まずありませんでした。(ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)は同地の出身ですが、イギリスに渡り本格的な音楽活動をしています。)

 この街でも、1980年代をとおして、多くのインディー・バンドが生まれ、やがて「グランジ」と呼ばれるジャンルが誕生します。グランジ(Grunge)とは、「薄汚い」という意味の形容詞「grungy」が、名詞化したもの。まさに、MTVやLAメタルに代表されるメジャー・シーンへの、カウンターとなる名称です。

 グランジの特徴は、シンプルに激しく歪んだギター・サウンドに、内省的な歌詞。ファッションも、薄汚れたTシャツやジーンズに、ボサボサの髪。まさにグランジー(薄汚れた)なジャンルです。

 整ったパワフルなサウンド・プロダクションに、まばゆい衣装、スプレーで逆立てた髪型のLAメタルとは、対極にあると言えます。

サブ・ポップ

 シアトルのインディー・シーン、およびにグランジ・ブームを牽引する原動力となったのは、同地に設立されたインディペンデント・レーベル、サブ・ポップ(Sub Pop)です。

 サブ・ポップの始まりは1980年。ワシントン州オリンピアにある、エバーグリーン州立大学(The Evergreen State College)の学生だったブルース・パヴィット(Bruce Pavitt)が、インディーロックの情報を扱うファンジンの発行を始めます。

 そのファンジンの名前が、サブタレニアン・ポップ(Subterranean Pop)。のちにサブ・ポップと改称され、発行を続けます。同誌の売りは、インディーズ・バンドの音源を収録した、コンピレーション・カセットを付属していたこと。

 1983年には、オリンピアからシアトルへ移転。1986年に、コンピレーション・アルバム『Sub Pop 100』をリリース。この作品がきっかけとなり、レーベルとしての活動を開始。

 ちなみに同作のカタログ・ナンバーは「SP 10」。同作以前にリリースされた、ファンジン付属のカセットテープが、1番から9番までということになっています。

 1987年に、ジョナサン・ポーンマン(Jonathan Poneman)が運営に参加。1988年4月には事務所を構え、パヴィットとポーンマンのコンビにより、レーベルが本格的に活動を始めます。

 前述の『Sub Pop 100』に続き、1987年にリリースされたのは、シアトルで結成されたバンド、グリーン・リヴァー(Green River)のEP『Dry As A Bone』。

 同バンドは1988年に解散しますが、メンバーは二手に分かれ、パール・ジャム(Pearl Jam)とマッドハニー(Mudhoney)を結成。

 パール・ジャムがメジャーに進出する一方で、マッドハニーはサプ・ポップに残留。サブ・ポップは、その後もニルヴァーナやサウンド・ガーデン(Soundgarden)など、地元ワシントン州のバンドを中心に、リリースを重ねていきます。(この3バンドも、やがてメジャーに移籍するのですが…)

 そして、80年代後半から90年代前半にかけてのグランジ・ブームを、牽引することになります。

 後述するニルヴァーナのインパクトも大きいのですが、サプ・ポップがブームを作り上げることができた理由は、他にもあります。

 まず、カセット付きのファンジンからスタートしたのも示唆的ですが、当初からキュレーター的なセンスを持っていたこと。バンドのファンではなく、「このレーベルなら信頼できる」というレーベルのファンを生み出すことになりました。

 もうひとつは、イギリスの『Melody Maker』誌の記者をシアトルに招待し、記事を書かせたこと。シアトルという、それまではアメリカ国内でも、音楽の話題で取り上げられることのない地方都市が、海外メディアに注目されるきっかけとなりました。

 以上、いくつかの理由とタイミングが重なり、サブ・ポップはアメリカを代表するインディペンデント・レーベルへと、成長していきます。

グランジ・ブームの到来

 さて、先述したように80年代は、巨大な資本が投入されたMTVや産業ロックが、メインストリームを支配する時代でした。

 しかし、90年代に入ると、それまで地下の音楽だったグランジが、地上のメインストリームに浮上。革命あるいはパラダイム・シフトと呼ぶべき、シーンの変化が生じます。

 その中心となったのが、シアトルのインディーズ・シーン。そして、グランジ革命の象徴として扱われるのがニルヴァーナです。

 シアトルがグランジ・ブームのきっかけを作ったのは事実ですし、ニルヴァーナがメジャー・デビューし驚異的なセールスを記録したのも事実。

 しかし、いきなりシアトルおよびニルヴァーナが価値観をひっくり返した、というわけではなく、80年代からパラダイム・シフトに繋がる動きがいくつもあり、結果として90年代前半にシアトルをきっかけにシーンが一変した、ということです。

 グランジ・ブームのきっかけとなった要素を2つ挙げるなら、まずは80年代を通してメジャー・レーベルが売り出すロック・バンドの質が画一化し、多くの人が潜在的にウンザリしていたこと。そして、もうひとつには、全米各地でメジャーに迎合しない個性的なインディーズ・シーンが生まれていたことです。

 ニルヴァーナが1991年に『Nevermind』でメジャー・デビューする前から、ニルヴァーナと同じくシアトルを拠点にしていたサウンドガーデン(Soundgarden)が1989年にメジャー・デビューしたり、アングラの帝王ソニック・ユースが1990年にアルバム『Goo』でメジャーへ移籍したり、という動きが既にありました。

 ちょうど、大衆がメジャーの音楽に飽き飽きしていたタイミング、メジャー・レーベルが注目するほどに各地でインディーシーンが盛り上がるタイミング。その2つが90年代の前半にカッチリと組み合ったわけです。

 さて、そんなわけで80年代の後半から、それまでインディーズ・レーベルに属していたバンドが、少しずつメジャーへ進出。

 サブ・ポップに所属していたニルヴァーナもメジャーへ移籍し、前述のとおり2ndアルバム『Nevermind』は空前の大ヒット。その後は、青田買いに近いかたちも含め、続々とグランジにカテゴライズされるバンドが、メジャー・デビューを果たします。

 こうして、グランジは一気に地上に浮上。音楽シーンのメインストリームとなります。同時に、それまでメジャーの売れ線だったバンドの一部は、前時代的でダサい、というレッテルを貼られることに。

 ニルヴァーナと対極の存在に位置付けられ、前時代のロックの代表のように扱われることになったのが、ガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N’ Roses)です。両者は、旧世代と新世代の対立の象徴となります。

 ニルヴァーナのカート・コバーンが、ガンズ・アンド・ローゼズのサポート・アクトの要請を断るなど、否定的な態度をとり続けたことが、その要因。

 ロサンゼルスで結成され、LAメタルの文脈で語られることもあるガンズ・アンド・ローゼズ。確かに、汚らしい格好で時に陰鬱なテーマの曲を歌うグランジとは、相容れない部分もあるのですが、ハード・ロックを基調にした音楽性には、共通点も認められます。

 グランジおよび一部のインディー・ロックが浮上できたのは、それまでのメジャー的な音楽と全く異質というわけでなく、共通する部分も少なからずあったためでしょう。

 つまり、それまでメジャー的なロックを聴いていた層にも受け入れられやすく、なおかつ彼らがメジャーの音楽には足りないと感じていた要素を、グランジ勢は備えていたために、ニルヴァーナをきっかけとして、グランジ革命とでも呼ぶべきパラダイム・シフトが起きたのです。

 視点を変えれば、それまでLAメタルを聴いていた層が、グランジへと寝返ったとも言えます。そのため、例えばニルヴァーナの『Nevermind』を購入した人々の多くは、それまでインディー・ロック的な音楽を聴いてこなかった層ということ。

 このように、リスナーが好む音楽性と、バンドが志向する音楽性の間には、当初から乖離があったために、グランジ・ブームも短命に終わったのです。

 グランジ・ブーム終焉の象徴も、やはりニルヴァーナ。ギターとボーカルを務めるカート・コバーンが、1994年に自ら命を絶ち、グランジ・ブームも終息へ向かいます。

 これもカートの死がグランジ・ブームを終息させたと言うよりも、ちょうどグランジ・ブーム衰退のタイミングと、彼の死が重なったと見るべきでしょう。

 グランジの急激なブームのために、上記で説明したようにリスナーとバンドの間に価値観の相違が生まれ、ニルヴァーナはその被害者の筆頭だった、とも言えると思います。

レーベル紹介

 サブ・ポップ以外に、グランジ・ブームを盛り上げたインディー・レーベルを、ふたつ紹介しておきましょう。

 まず一つ目は、サブ・ポップと並んでシアトル・シーンを牽引したC/Z。1985年に設立された同レーベルは、1986年にリリース第1弾として、コンピレーション・アルバム『Deep Six』を発売。

 同作には、グリーン・リヴァー、メルヴィンズ(Melvins)、スキン・ヤード(Skin Yard)、サウンドガーデンなど、当時のシアトルを代表するバンドの楽曲が収録。

 その後も、7イヤー・ビッチ(7 Year Bitch)、ビルト・トゥ・スピル(Built To Spill)、シルクワーム(Silkworm)など、シアトルおよびグランジの枠だけにとどまらず、リリースを重ねました。

 もうひとつは、同じくシアトルに設立されたポップラマ(PopLlama)。当時のシアトルを代表するプロデューサーである、コンラッド・ウノ(Conrad Uno)によって、1984年に設立されました。

 シアトルにあるレコーディング・スタジオ、エッグ・スタジオ(Egg Studios)のオーナーでもあるコンラッド・ウノは、ポップラマ以外の作品も含め、プロデューサーとしても多くの作品に携わっています。

 ポップラマからは、ファストバックス(Fastbacks)、ガール・トラブル(Girl Trouble)、ザ・ポウジーズ(The Posies)、ザ・ヤング・フレッシュ・フェローズ(The Young Fresh Fellows)などの作品がリリースされました。

ディスク・ガイド

 このページで取り上げたバンドのディスクガイドです。

Nirvana “Bleach” (1989 Sub Pop)

ニルヴァーナ 『ブリーチ』 (1989年 サブ・ポップ)

 シアトルのインディーズ・レーベル、サブ・ポップからリリースされた、ニルヴァーナの記念すべき1stアルバム。メジャー・デビュー後の2枚のアルバムに比べると、アングラ臭が充満したサウンドになっています。

 そのため、敬遠されることも多いのではないかと思いますが、静と動のコントラスト、当時のシアトルのライブハウスの空気がそのまま閉じ込められたかのような空気感など、グランジの名盤と言って良いと思います。個人的には、メジャーでの2枚と同じぐらい、本作を推します。

 


Nirvana “Nevermind” (1991 DGC)

ニルヴァーナ 『ネヴァーマインド』 (1991年 DGC)

 ゲフィン・レコード(Geffen Records)傘下のレーベル、DGCよりリリースされた、ニルヴァーナのメジャー・デビュー作。プロデューサーを務めるのは、ウィスコンシン州で結成されたロック・バンド、ガービッジ(Garbage)のメンバーとしても知られる、ブッチ・ヴィグ(Butch Vig)。

 サブ・ポップからリリースされた前作『ブリーチ』と比較すると、音圧が高くパワフルで、良くも悪くもメジャー的なサウンド・プロダクション。しかし、それまでのメジャーには無かった陰鬱さも同居し、ロックのダイナミズムと作家性が、高い次元で両立された1作です。

 


Nirvana “In Utero” (1993 DGC)

ニルヴァーナ 『イン・ユーテロ』 (1993年 DGC)

 前作『Nevermind』と同じくDGCからリリースされた、ニルヴァーナの3rdアルバムであり、最後のスタジオ・アルバム。プロデューサーおよびサウンド・エンジニアを務めるのは、スティーヴ・アルビニ(Steve Albini)。

 アルビニ特有の生々しいサウンド・プロダクションが光る名作。1曲目の「Serve The Servants」から、唸りをあげるノイジーなギター、地を這うようなベース、立体的なドラムが、その場の空気感まで含め鳴り響きます。

 


関連バンド作品の個別レビュー

The Afghan Whigs – アフガン・ウィッグス
Up In It (Sub Pop 1990)
Congregation (Sub Pop 1992)

Built To Spill – ビルト・トゥ・スピル
Ultimate Alternative Wavers (C/Z 1993)
There’s Nothing Wrong With Love (Up 1994)

Dinosaur Jr. – ダイナソーJr.
You’re Living All Over Me (SST 1987)
Bug (SST 1988)

Dwarves – ドワーヴス (ドゥワーヴス)
Blood Guts & Pussy (Sub Pop 1990)
Thank Heaven For Little Girls (Sub Pop 1991)
Sugarfix (Sub Pop 1993)
The Dwarves Are Young And Good Looking (Epitaph, Theologian 1997)
Come Clean (Epitaph 2000)

Fastbacks – ファストバックス
…And His Orchestra (Popllama 1987)
Very, Very Powerful Motor (Popllama 1990)
Zücker (Sub Pop 1993)
Answer The Phone, Dummy (Sub Pop 1994)
New Mansions In Sound (Sub Pop 1996)

Love Battery – ラヴ・バッテリー
Between The Eyes (Sub Pop 1991)
Dayglo (Sub Pop 1992)

Mudhoney – マッドハニー
Mudhoney (Sub Pop 1989)
Every Good Boy Deserves Fudge (Sub Pop 1991)

Nirvana – ニルヴァーナ
Bleach (Sub Pop 1989)

Sebadoh – セバドー
Bubble & Scrape (Sub Pop 1993)
Bakesale (Sub Pop 1994)
Harmacy (Sub Pop 1996)

TAD – タッド
God’s Balls (Sub Pop 1989)
8-Way Santa (Sub Pop 1991)

Treepeople – トゥリーピープル
Just Kidding (C/Z 1993)
Actual Re-Enactment (C/Z 1994)





12, ポスト・ハードコア, ノイズロック, ローファイ (1985年〜)


目次
イントロダクション
ポスト・ハードコア
タッチ・アンド・ゴー (Touch and Go)
ノイズ・ロック
ローファイ
ディスク・ガイド

イントロダクション

 パンクを出発点に、ハードコア・パンク、ポスト・パンク、ニュー・ウェーヴ、ノー・ウェーヴなど、多様なジャンルが派生。それと並行して、各地にDIY精神に乗っ取ったインディペンデント・レーベルが生まれ始めた、70年代後半から80年代前半。

 80年代中頃に入ると、パンクやハードコアから、さらに先進性を増した「ポスト・ハードコア」と呼ばれるジャンルへ発展します。ノイズロックと呼ばれる、さらに実験性を増したジャンルや、ローファイと呼ばれる、チープな音像を特徴としたジャンルも登場。地上と地下との音楽性の差異が、ますます際立つようになります。

 同時に、CMJおよびカレッジ・ラジオの影響力も増し、ビートルズに代表されるブリティッシュ・ロックの影響を受けるパワー・ポップや、サイケデリック・ロックから派生したネオ・サイケデリアなど、60年代の音楽を取り込んだバンドも増加。

 その一方で、地上ではMTVが全盛を迎え、メジャー・レーベルがメガヒットを連発。メジャーと契約する華やかなロック・バンドも誕生し、彼らの一部は「産業ロック」(corporate rock)と呼ばれ揶揄されます。

 90年代に入ると、ニルヴァーナ(Nirvana)を象徴としたグランジの大ブームが巻き起こるのですが、80年代中盤から後半は、グランジやオルタナティヴ・ロックを準備した期間と言っていいでしょう。

 このページでは、ポスト・ハードコア、ノイズ・ロック、ローファイの3ジャンルをご紹介します。

ポスト・ハードコア

 まずは、パンク・ロック、ハードコアから派生したポスト・ハードコア。「ポスト・ハードコア」というジャンル名が示唆するように、ハードコア・パンクから派生して起こったのがこのジャンルです。

 基本的にはシンプルなロックンロールであったパンク・ロックの、攻撃性やスピード感を先鋭化するかたちで生まれたハードコア・パンク。そこから派生したジャンルということは、さらに先鋭化しているのか、と問われれば答えはイエス。

 しかし、単純にスピードや音量を増したというよりも、より複雑性を増したアンサンブルや、実験的なサウンドを持つバンドが多いのが、このジャンルの特徴です。

 攻撃的でスピード重視のハードコアから、さらに派生したジャンルと言うと、圧倒的な音量とハイテンポの音楽を想像するかもしれません。実際、僕自身がそうでした。

 しかし、実際のポスト・ハードコアは、ハードコア・パンクを下敷きにしながら、時にはジャズや現代音楽、プログレッシヴ・ロックなどの要素を取り込み、より実験性の増した音楽、と言った方が適切です。

 さて、そんなわけで1980年代中頃に起こったポスト・ハードコア。初期の重要バンドは、前ページ(11, パンク・ブーム以後の時代 (1978年〜)で紹介した、SSTやディスコード(Dischord)に所属するバンドたち。

 上記のレーベルおよび所属バンドは、ハードコア・パンクから出発し、徐々にポスト・ハードコア色を濃くしていきます。いずれもSSTからリリース歴のあるブラック・フラッグ(Black Flag)、ハスカー・ドゥ(Hüsker Dü)、ミニットメン(Minutemen)らは好例。当初は比較的シンプルなパンク・ロックを志向しながら、作品を重ねるごとに実験性を増していきました。

 ディスコードの設立者でもあるイアン・マッケイが、マイナー・スレット解散後に結成したフガジ(Fugazi)も、ポスト・ハードコアを代表するバンドのひとつです。

 疾走感溢れるハードコア・パンクで一世を風靡したマイナー・スレットとは異なり、フガジは当初からアンサンブルを重視した音楽を展開。ハードな音像と、複雑かつバラエティに富んだアンサンブルが共存する音楽を作り上げ、ポスト・ハードコアの雛形のひとつとなります。

タッチ・アンド・ゴー

 ここで、ポスト・ハードコアの名盤を多数リリースし、80年代のUSインディー・シーンを代表するレーベルのひとつである、タッチ・アンド・ゴー(Touch and Go Records)をご紹介します。

 タッチ・アンド・ゴーは1981年、シカゴで設立されました。1979年に、テスコ・ヴィー(Tesco Vee)とデイヴ・スティムソン(Dave Stimson)が、タッチ・アンド・ゴー・マガジンという手作りのファンジンの発行を始め、そこからレーベルへと発展していきます。

 2009年にレーベルの規模を縮小するまで、精力的にUSインディー・シーンを支えてきた同レーベル。そのため、ポスト・ハードコアの専門レーベルというわけではなく、扱うジャンルも多岐に渡ります。その中で、1980年代から同レーベルで活躍した人物として、スティーヴ・アルビニ(Steve Albini)ご紹介します。

 元々はライターとして活動していたアルビニ。やがて、自身もミュージシャンおよびレコーディング・エンジニアとして活動を始め、現在はシカゴに自身のスタジオ、エレクトリカル・オーディオ(Electrical Audio)を構える著名なエンジニアです。

 そんなアルビニが結成していたバンドが、ビッグ・ブラック(Big Black)、レイプマン(Rapeman)、シェラック(Shellac)の3つ。活発な活動はしていませんが、シェラックは現在も継続中です。

 上記3バンドは、それぞれ音楽性は異なりながら、いずれもポスト・ハードコアと呼べる質を備えた音楽を展開。そして、3バンドとも、タッチ・アンド・ゴーから作品をリリースしています。

 ビッグ・ブラックは、1981年から1987年にかけて活動。基本編成は、ギター2人に、ベースが1人。ドラマー不在のバンドで、代わりにローランド社製のリズムマシーンを使用。メンバーにもドラムとして「Roland」がクレジットされています。

 ドラマー不在の編成も特異ですが、音楽性も個性的。リズムマシーンが刻む一定のビートの上で、金属的に歪んだギターとベースが、響き渡ります。

 リズムマシーンの音色をはじめ、ギターとベースの音作りも無駄を削ぎ落としたもの。しかし、オーバー・プロデュースにならないサウンドが、緊張感を演出し、刃物のように鋭い音楽を作り上げていきます。

 レイプマンは、1987年から1989年まで活動。こちらはギター、ベース、ドラムの3ピース編成です。音楽性は、ビッグ・ブラックの延長線上と言ってよく、金属的な歪みのギターを中心に、音数はそこまで増やさず、各楽器が絡み合うようなアンサンブルを繰り広げます。

 ビッグ・ブラックとレイプマンは、ポスト・ハードコアの範疇に入りますが、同時にノイズ・ロックと呼んでもいいジャンクなサウンド・プロダクションを持っています。

 シェラックは、1992年に結成。現在までに5枚のスタジオ・アルバムをリリースし、活動を継続中。と言っても、積極的に活動しているわけでなく、たまに集まってアルバムをリリースするぐらいのマイペースです。

 レコーディング・エンジニアとしても著名なスティーヴ・アルビニ。彼が手がけるサウンドの特徴は、スタジオの残響音まで閉じ込めるように、生々しくバンドの音を記録するところです。

 シェラックは、まさにアルビニ録音の魅力が凝縮されたバンド。飾り気のないむき出しのサウンドの各楽器が、臨場感をともなって響きます。演奏面でも、変拍子など実験的な要素を取り込みながら、無駄を削ぎ落としたタイトなアンサンブルが展開。個人的には、ポスト・ハードコアの理想形のひとつだと思います。

 ちなみに、シェラックにベーシストとして在籍するボブ・ウェストン(Bob Weston)は、アルビニからレコーディング技術を学んだ弟子のような人物。彼もレコーディング・エンジニアおよびプロデューサーとして、活躍しています。

 最後にもうひとつ、タッチ・アンド・ゴーに所属し、アルビニがプロデュースを手がけたポスト・ハードコア・バンドをご紹介します。1987年に、テキサス州オースティンで結成されたジーザス・リザード(The Jesus Lizard)です。

 このバンドには、クラシック・ギターで音楽を始め、ジーザス・リザード結成前にはジャズも演奏していた、ギタリストのデュエイン・デニソン(Duane Denison)が在籍。

 ジャズ的なリズムやフレーズと、ジャンクな音質が融合し、独特のポスト・ハードコア・サウンドを作り上げました。

ノイズ・ロック

 続いて、ノイズ・ロックと呼ばれるジャンルをご紹介します。パンク・ロックおよびハードコア・パンクの攻撃性がひとつの起源になっている点は、ポスト・ハードコアと共通。

 「ノイズ・ロック」という名称が示すように、より実験性と前衛性が強いのが、このジャンルの特徴です。ただ、前述のビッグ・ブラックやジーザス・リザードがノイズロックに分類されることもありますし、ジャンル分けは多かれ少なかれ曖昧である点はご留意ください。

 ノイズ・ロックを代表するバンドは、1981年にニューヨークで結成されたソニック・ユース(Sonic Youth)。現代音楽やノー・ウェーヴからの影響が色濃くにじむ彼らの音楽は、不協和音やノイズが、ロックのダイナミズムと溶け合い、音量やスピードに拘るハードコア・パンクとは、違ったベクトルの攻撃性を有しています。

 1990年代前半に大ブームを巻き起こした、グランジとオルタナティヴ・ロック勢へも、多大な影響を与えました。

 他にノイズ・ロックにカテゴライズされることのある代表バンドは、バットホール・サーファーズ(Butthole Surfers)、プッシー・ガロア(Pussy Galore)、アンセイン(Unsane)など。いずれも、方法論とサウンドは違えど、ノイズを音楽に取り込み、魅力へと転化しています。

 ノイズ・ロックに特化したレーベルも誕生します。1986年にミネソタ州ミネアポリスで設立されたアンフェタミン・レプタイル(Amphetamine Reptile)は、多くの個性的なバンドを輩出しました。

ローファイ

 最後に紹介するのは、ローファイと呼ばれるジャンルです。

 語源となったのは「low fidelity」。「fidelity」とは、「忠実」や「原物そっくり」を意味する名詞で、音楽に関して「low fidelity」と言えば、原音から遠いという意味。

 つまり、実際に発せられた音よりも、劣った音質であるということ。「ローファイ」は、元々はそのような音質自体を指す言葉でしたが、転じてチープな音質でレコーディングされた音楽を指すようになります。

 音質を指す言葉がジャンル名になったため、このジャンルの特徴は音楽の構造よりも、その音質自体にあります。ただ、チープな音質に比例して、演奏もしょぼいことが多い、むしろ一般的にはヘタクソな演奏も魅力の一部としているのがローファイというジャンルです。

 また、前述のとおり本来は、満足なレコーディング環境を準備できず、バンドがカセットテープに録音した、ヘロヘロの音質を指していましたが、やがて意図的にチープな音質でレコーディングされたものもローファイと呼ばれるようになります。

 「チープな音質」と書いてしまいましたが、もっと具体的に書くと、一般的に良いとされるサウンドから離れた、個性的なバランスのサウンドが、ローファイと呼ばれるようになっていきます。そのため、ある時期以降のローファイには、思ったより音質の悪くないものが数多くあります。

 元々は音質を指す言葉だったローファイが、やがて音楽のスタイルを指すジャンル名へと、変質していったということでしょう。

 パンク・ロックから、ハードコア・パンク、ポスト・ハードコアへと、攻撃性と実験性を増していったのと並行して、一般的に良いとされるサウンドから遠ざかり、別種のかっこいいサウンドを追求するローファイは、やはり非メジャー的かつインディーズ的な音楽と言えます。

 このジャンルの特徴を挙げるなら、チープな音質と演奏によって、メロディーやアンサンブルのコアな部分を引き立つこと。そして、一般的に良いとされるサウンドとは、別種のサウンドを追い求める、言い換えれば音響的なアプローチを伴ったジャンルであること。これらはローファイの特徴であり、同時に魅力ともなっています。

 ローファイを代表するバンドとして、まずご紹介したいのは、ビート・ハプニング(Beat Happening)。1982年にワシントン州オリンピアで結成され、中心メンバーのキャルヴィン・ジョンソン(Calvin Johnson)は、同年にインディー・レーベル、Kレコーズを設立。ビート・ハプニングの作品の多くは、同レーベルからリリースされています。

 ビート・ハプニングの初期の作品群は、これぞローファイ!と言うべき、クオリティを備えています。すなわち、チープでぺらぺらの音質と、不安定でヘロヘロの演奏。その中で、無邪気なメロディーがポップに響き、音楽のコアな魅力が前景化されています。

 しかし、ビート・ハプニングもアルバムを追うごとに音質と演奏能力は向上。それでも、メジャー・レーベルからリリースされるパワフルな音質に比べれば十分にチープですが、徐々にアンサンブルとソングライティングに重きをおいた音楽性へと、シフトしていきます。

 他にローファイを代表するバンドとして挙げられるのは、ガイデッド・バイ・ヴォイシズ(Guided By Voices)、ペイヴメント(Pavement)、セバドー(Sebadoh)など。しかし、ここに挙げた3バンドも、当初はチープな音質を特徴としながら、それほど音質が悪くない作品も多いです。

ディスク・ガイド

 このページで取り上げたバンドのディスクガイドです。

Fugazi “Repeater” (1990 Dischord)

フガジ 『リピーター』 (1990年 ディスコード)

 イアン・マッケイが、マイナー・スレット解散後に結成したバンド、フガジの1stアルバム。ハードコア・パンク直系の絞り出すようなシャウトと、複雑なアンサンブルが融合する、ポスト・ハードコアの名盤。

 


Big Black “Songs About Fucking” (1987 Touch And Go)

ビッグ・ブラック 『ソングス・アバウト・ファッキング』 (1987年 タッチ・アンド・ゴー)

 スティーヴ・アルビニ率いるビッグ・ブラックの2ndアルバムであり、ラスト・アルバム。淡々と刻まれるドラム・マシンのビートに、金属的な音色のギターが絡む、無駄を削ぎ落としたサウンドとアンサンブル。

 


Rapeman “Two Nuns And A Pack Mule” (1988 Touch And Go)

レイプマン 『トゥー・ナンズ・アンド・ア・パック・ミュール』 (1988年 タッチ・アンド・ゴー)

 ビッグ・ブラック解散後に結成された、レイプマン唯一のフル・アルバム。ビッグ・ブラックの時に使用していたリズム・マシンに代わり、ドラマーを迎えた3ピース編成。金属的な歪みのギター・サウンドは引き継ぎ、各楽器がより複雑に絡み合うアンサンブルが展開。デジタル配信はされていないようです。


Shellac “At Action Park” (1994 Touch And Go)

シェラック 『アット・アクション・パーク』 (1994年 タッチ・アンド・ゴー)

 シェラックは、どのアルバムを素晴らしい完成度なのですが、最もポスト・ハードコア色がストレートに出ているということで、1stアルバムを挙げておきます。

 演奏もサウンド・プロダクションも、一切のムダが無くタイト。過度な色付けはせず、生々しいサウンドが鳴り響く1作です。アルビニ録音の入門作としてもオススメ。

 


The Jesus Lizard “Liar” (1992 Touch And Go)

ジーザス・リザード 『ライアー』 (1992年 タッチ・アンド・ゴー)

 テキサス州オースティン出身のバンド、ジーザス・リザードの3rdアルバム。レコーディング・エンジニアを務めるのは、スティーヴ・アルビニ。

 ジャズの要素を含んだ複雑なアンサンブルと、ジャンクなサウンドが同居する1作です。ジーザス・リザードは、タッチ・アンド・ゴーに4枚のアルバムを残しましたが、全てアルビニのプロデュースで、いずれも良作。

 


Sonic Youth “Bad Moon Rising” (1985 Homestead)

ソニック・ユース 『バッド・ムーン・ライジング』 (1985年 ホームステッド)

 ニューヨークのアングラの帝王、ソニック・ユースの2ndアルバム。変則チューニングを駆使した奇妙なハーモニーに、ノイジーなサウンドが融合。様々な面で、ノイズを感じる1作です。

 一般的な意味からすればポップではなく、違和感を持つアレンジが随所に散りばめられているのに、その違和感がやがて魅力に変化し、気がつけばソニック・ユースの音楽の虜になるはず。

 


Beat Happening “Beat Happening” (1985 K Records)

ビート・ハプニング 『ビート・ハプニング』 (1985年 Kレコーズ)

 ワシントン州オリンピアで結成されたバンド、ビート・ハプニングの1stアルバム。ローファイを聴いてみたいなら、まずはこのアルバムを聴いてみてください。チープな音、しょぼい演奏、それでいてやたらとポップで耳に残るメロディー。

 アルバムのジャケットに比例するように、かわいく、愛おしい音楽が詰まっています。音楽の魅力とは何か、という根源的な問いに対する、ヒントを感じる1作。

 


Pavement “Slanted And Enchanted” (1992 Matador)

ペイヴメント 『スランティッド・アンド・エンチャンティッド』 (1992年 マタドール)

 ビート・ハプニングやセバドーと並び、ローファイを代表するバンドのひとつと目されるペイヴメント。本作は、1992年にリリースされた、彼らの1stアルバム。チープな音像と、ヘロヘロの演奏、物憂げなボーカルが溶け合う、ローファイ感あふれる1作です。

 ただ、2作目以降は、一般的な意味で高音質とは言い難いのですが、音質も演奏能力も向上。サイケデリック・ロック色の濃い音楽を展開していきます。Appleでは、今のところ未配信のようです。


Sebadoh “The Freed Man” (1989 Homestead)

セバドー 『ザ・フリード・マン』 (1989年 ホームステッド)

 ダイナソーJr.での活動でも知られるルー・バーロウ(Lou Barlow)を中心に結成されたバンド、セバドーの1stアルバム。ローファイを代表するバンドのひとつに数えられるセバドー。

 本作は、アコースティック・ギターを主軸に据えた、宅録感あふれるサウンドに乗せて、メロディーがゆるやかに漂う1作です。ビートルズを思わせるハーモニーも魅力ですが、どこか不安定で怪しい部分があるのもご愛嬌。

 


関連バンド作品の個別レビュー

Beat Happening – ビート・ハプニング
Beat Happening (K Records 1985)
Black Candy (K Records 1989)

Big Black – ビッグ・ブラック
Songs About Fucking (Touch And Go 1987)
Pig Pile (Touch And Go 1992)

Butthole Surfers – バットホール・サーファーズ
Locust Abortion Technician (Touch And Go 1987)

Fugazi – フガジ
In On The Kill Taker (Dischord 1993)
Red Medicine (Dischord 1995)
The Argument (Dischord 2001)

Guided By Voices – ガイデッド・バイ・ヴォイシズ
Alien Lanes (Matador 1995)
Under The Bushes Under The Stars (Matador 1996)
Mag Earwhig! (Matador 1997)

Hüsker Dü – ハスカー・ドゥ
New Day Rising (SST 1985)

The Jesus Lizard – ジーザス・リザード
Head (Touch And Go 1990)
Goat (Touch And Go 1991)
Liar (Touch And Go 1992)
Down (Touch And Go 1994)

Pavement – ペイヴメント
Slanted And Enchanted (Matador 1992)
Crooked Rain, Crooked Rain (Matador 1994)
Wowee Zowee (Matador 1995)
Brighten The Corners (Matador 1997)
Terror Twilight (Matador 1999)

Pussy Galore – プッシー・ガロア
Right Now! (Caroline 1987, Matador 1998)
Dial ‘M’ For Motherfucker (Caroline 1989, Matador 1998)

Sebadoh – セバドー
Bubble & Scrape (Sub Pop 1993)
Bakesale (Sub Pop 1994)
Harmacy (Sub Pop 1996)

Shellac – シェラック
At Action Park (Touch And Go 1994)
Excellent Italian Greyhound (Touch And Go 2007)

Slint – スリント
Tweez (Jennifer Hartman 1989, Touch And Go 1993)
Spiderland (Touch And Go 1991)

Sonic Youth – ソニック・ユース
EVOL (SST 1986)

Unsane – アンセイン
Total Destruction (Matador 1994)

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Veruca Salt “IV” / ヴェルーカ・ソルト『フォー』


Veruca Salt “IV”

ヴェルーカ・ソルト 『フォー』
発売: 2006年9月12日
レーベル: Sympathy For The Record Industry (シンパシー・フォー・ザ・レコード・インダストリー)
プロデュース: Rae DeLio (レイ・ディレオ)

 イリノイ州シカゴ出身のオルタナティヴ・ロック・バンド、ヴェルーカ・ソルトの4thアルバム。

 1992年に結成され、1994年に1stアルバム『American Thighs』をリリースしたヴェルーカ・ソルト。それから12年の月日が経ち、4作目となる本作には、ギター・ボーカルのルイーズ・ポスト(Louise Post)以外のオリジナル・メンバーは残っていません。

 デビュー当時は、まだグランジ旋風の残る90年代前半。ヴェルーカ・ソルトも、グランジらしいざらついたギターを、前面に出したサウンドを鳴らしていました。彼らの音楽を、特別なものにしていたのは、ルイーズ・ポストの表現力豊かなボーカル。

 ロック的なエモーショナルな歌唱と、アンニュイな魅力を併せ持つ彼女のボーカルは、グランジーなバンド・サウンドに、フレンチ・ポップを彷彿とさせる多彩さを加えています。

 さて、それから12年を隔てた通算4作目のアルバムとなる本作。音圧の高いパワフルなサウンドに、やはりルイーズ・ポストの声の魅力が融合した1作となっています。

 1曲目「So Weird」では、複数のギターが折り重なり、厚みのあるアンサンブルを構成。その上を軽やかに泳ぐように、ボーカルがメロディーを紡いでいきます。

 2曲目「Centipede」は、タイトなドラムのイントロから始まり、立体的で躍動感に溢れたアンサンブルが繰り広げられる1曲。

 3曲目「Innocent」は、激しく歪んだギターの波が、次々と押し寄せる1曲。

 4曲目「Circular Trend」は、うねるようにギターが暴れるアンサンブルに合わせ、コケティッシュなボーカルがメロディーをかぶせる1曲。アンサンブルには、ロックのかっこいいと思うツボが、たっぷりと含まれ、否が応でもリスナーの耳を掴んでいきます。

 5曲目「Perfect Love」は、過度にダイナミックなアレンジを控え、タイトなアンサンブルが展開する1曲。

 6曲目「Closer」は、同じ音を繰り返すシンプルなイントロから始まり、各楽器が絡み合うように塊感のあるアンサンブルが繰り広げられる1曲。

 7曲目「Sick As Your Secrets」は、クリーン・トーンのギターがフィーチャーされた穏やかなアンサンブルと、轟音ギターの押し寄せるパートを行き来する、コントラストの鮮やかな1曲。

 8曲目「Wake Up Dead」は、ピアノとストリングス、アコースティック・ギターが用いられたメロウなバラード。柔らかなバンドのサウンドに比例して、ボーカルも穏やかにメロディーを紡ぎます。

 9曲目「Damage Done」は、激しく歪んだギターが折り重なる、グランジ色の濃い1曲。

 11曲目「The Sun」は、ピアノとストリングスを前面に出した穏やかなアンサンブルから始まり、ドラムとディストーション・ギターが立体感とダイナミズムを増していく展開を持った曲。

 13曲目「Save You」は、イントロからパワフルにドラムが鳴り響き、立体的なアンサンブルが展開する曲。中盤からのジャンクなアレンジも魅力。

 14曲目「Salt Flat Epic」は、かすかな音量の電子音が漂うイントロから始まり、透明感あふれるギターとボーカルが絡み合う穏やかなアンサンブル、さらにドラムやギターが立体感と躍動感をプラスしたアンサンブルへと展開する、8分近くに及ぶ大曲。

 まず一聴したときの感想は、音がいいな! 音圧が高く、パワフルで臨場感に溢れたサウンドで録音されています。

 クレジットを確認すると、プロデュース、エンジニア、ミックスを担当するのは、フィルター(Filter)やロリンズ・バンド(Rollins Band)を手がけるレイ・ディレオという人物。

 パワフルなサウンド・プロダクションに、前述のルイーズ・ポストの声の魅力が加わり、初期のグランジ色から比較して、現代性と多彩さを増したアルバムとなっています。

 





Veruca Salt “American Thighs” / ヴェルーカ・ソルト『アメリカン・シングス』


Veruca Salt “American Thighs”

ヴェルーカ・ソルト 『アメリカン・シングス』
発売: 1994年9月27日
レーベル: Minty Fresh (ミンティ・フレッシュ)
プロデュース: Brad Wood (ブラッド・ウッド)

 1993年にシカゴで結成されたオルタナティヴ・ロック・バンド、ヴェルーカ・ソルトの1stアルバム。

 バンド名は、イギリスの小説家ロアルド・ダールの児童小説『チョコレート工場の秘密』(Charlie and the Chocolate Factory)に登場する、ワガママな少女の名前から。ちなみに同作は、2005年に公開された映画『チャーリーとチョコレート工場』の原作です。

 プロデューサーを務めるのは、リズ・フェア(Liz Phair)やスマッシング・パンプキンズ(The Smashing Pumpkins)を手がけたこともあるブラッド・ウッド。エンジニアとして、トータスのジョン・マッケンタイア(John McEntire)も名を連ねています。

 本作制作時のメンバーは、ギター・ボーカルのルイーズ・ポスト(Louise Post)と、ギターのニーナ・ゴードン(Nina Gordon)の女性2人に、ベースのスティーヴ・ラック(Steve Lack)とドラムのジム・シャピーロ(Jim Shapiro)の男性2人からなる4人編成。

 本作がリリースされたのは、まだグランジの熱が冷めやらぬ1990年代前半。時にアンニュイに囁くように歌い、時にエモーショナルにシャウトする、表現力豊かな女声ボーカルが、グランジらしい激しく歪んだギターと融合。本作では、激しさと内省性が同居する、グランジ・サウンドを鳴らしています。

 1曲目「Get Back」は、ゆったりとしたテンポに乗せて、ざらついたギターを中心にした、足を引きずるようなアンサンブルが展開するグランジーな1曲。女性ボーカルによる浮遊感のあるメロディーと、ディストーション・ギターの歪んだ音色も、グランジらしいバランス。

 2曲目「All Hail Me」は、激しく歪んだ2本のギターが、うねるように絡み合うアンサンブルに、エモーショナルなボーカルが合わさる1曲。

 3曲目「Seether」は、シンプルにリズムを刻むドラムを中心に、タイトなアンサンブルの1曲。コケティッシュなボーカルが、楽曲に彩りを加えています。

 6曲目「Wolf」は、厚みのあるギター・サウンドの上を漂うように、囁き系のボーカルがメロディーを紡いでいく、スローテンポの1曲。

 7曲目「Celebrate You」は、空間系エフェクターを用いた透明感のあるサウンドと、ざらついた歪みのサウンドなど、音色の異なる複数のギター・サウンドが重なる、ミドルテンポの1曲。

 10曲目「Victrola」は、野太く歪んだギターのドライブ感あふれる演奏と、ファルセットを用いた幻想的なボーカルが溶け合う、コンパクトなロック・チューン。

 11曲目「Twinstar」は、足を引きずるようなスローテンポに乗せて、アンニュイなボーカルがメロディーを紡ぐ、メロウな1曲。

 ハードロック的なゴージャズな歪みではなく、グランジ的なぶっきらぼうな歪みのギターが、唸りをあげるアルバムです。

 このような音作りを「時代の音」と言ってしまえばそれまでですが、確かにサウンドは良くも悪くも時代の空気を吸い込み、個性的ではないかもしれません。

 しかし、メイン・ボーカルを務めるルイーズ・ポストの表現力の高さが、このバンドを同時代のグランジ・バンドから隔て、特異な存在に押し上げていると言っても、過言ではないでしょう。

 もし、グランジ・バンドに多い、物憂げな男性ボーカルだったなら、ここまでのオリジナリティは獲得できなかったはず。ルイーズの声と歌唱法が、サウンド全体をグランジ一色には染まらせず、ギター・ポップやフレンチ・ポップすら彷彿とさせる、多彩なサウンドを生み出しているのだと思います。

 2018年10月現在、残念ながらデジタル配信は、されていないようです。